こどもの写真入り年賀状はアリなのかナシなのかどっちだ

毎年毎年この話題が出てきますね。僕も気になってます!
検索してみると小町や知恵袋にいくつか載っています。

肯定派 / 出す側

否定派 / もらう側

気にしてない人はどんどん出すし、気にする人は出さない(ただし一方的に届く)、という状況が多そうですね。電車の中で化粧・髭剃りしてもいいじゃん!/やめろ!問題に似ている気もします。電車で隣りに座っているくたびれたオッサンが突然ジョリジョリはじめたら「毎日お仕事忙しいんだろうな、がんばれ♪」と思う人もいれば「くせーし髭のカスが服につくからやめろ!」と思う人もいるというアレです。

年賀状はもうちょっと複雑なので、より平行線をたどりやすいんですね。

子供の写真入り年賀状が喜ばなれないワケ3つ | パピマミにこう書いてありました。

もらって嬉しい年賀状
1. 手書きのメッセージがある
2. 最近の近状が書かれている
3. 家族の写真が載っている
4. どんな年賀状でも嬉しい
~
もらって嬉しくない年賀状
1. 全面印字で手書きのメッセージがない
2. 「あけおめ」「ことよろ」などとしか書いていない
3. 子どもの写真のみ
4. 自慢話が書かれている
~
嬉しくない理由
1. 単純に子ども嫌いパターン
2. 独身・不妊などの訳ありパターン
3. 子どもに興味も面識もないよ! のパターン
子供の写真入り年賀状が喜ばなれないワケ3つ | パピマミ

いくつか見た中でこれが一番しっくり来たので、もうちょっと掘り下げてみます。

もらって嬉しい年賀状

  1. 手書きのメッセージがある
  2. 最近の近状が書かれている
  3. 家族の写真が載っている
  4. どんな年賀状でも嬉しい

となっています。最後のは心が広い人なのでちょっと置いといて、手書きのメッセージ、近況、家族の写真に注目します。

「手紙や絵葉書」で考えた自分の場合

手紙

学生時代に海外旅行好きな友だちがいて、渡航先からよく絵葉書を送ってくれました。仲の良い友達だったので、はがきが届くたびに「お、あいつ今こんなところにいるのか〜〜!」と楽しんでました。旅の行程や状況も詳しく書いてあって、読むとなんだか嬉しくなります。マチュピチュ遺跡の絵葉書はいまも大切にとってあります。

手紙、特にプライベートな間柄の手紙だと、出し手は受け手のことを考えながら書きます。受け取る方もそれが伝わるので嬉しくなるんですね。自分のことを考えていてくれるんだな、関心持ってくれてるんだな、と思えるのは嬉しいものです。

家族の写真、これはこれで情報量が多いです。友達の家族とも一応面識があるので「父親に似てきたな…」とか「お兄さんめっちゃ身長伸びてる…ということはこいつもまだ伸びるのかな」とか「家族全員おんなじ顔やん」とか、撮影した場所によっては「有名な撮影スポットで周りに観光客も写っている、意外とミーハーなんだな」とか、風が強いなとか太陽の傾きで時間帯がわかったりとか着ている服装で大体の気温とかいろいろ読み取れます。

知っている相手の写真だと興味を持って細かい所まで見ちゃいますね。みんな楽しそうな笑顔だとこちらも嬉しくなります。

もらって嬉しいのは手紙でも年賀状でも、相手が自分に関心をもってくれているかどうか、好意的かどうか、なのかなと思ってます。

もらって嬉しくない年賀状

  1. 全面印字で手書きのメッセージがない
  2. 「あけおめ」「ことよろ」などとしか書いていない
  3. 子どもの写真のみ
  4. 自慢話が書かれている

上の絵葉書の例があると対照的なのでわかりやすいですね。これらは自分に関心を持ってくれていないと感じられるので、あんまり嬉しくないです。人によってははっきり「不快」と感じるかもしれませんね。

適当に投函されてくるダイレクトメールみたいな感じもします。愛がないというか。

人はだれしも「大切な人」だと思われたい

デール・カーネギーの「人を動かす」という本があります。いわゆる自己啓発本ですが、この本はひたすら「相手の立場になって考えろ。そうすりゃ人はこっちの言うことを聞いてくれる。相手に重要感をもたせればイチコロ」という内容が書いてあります。

いくつか引用すると、

「まず相手の心のなかに強い欲求を起こさせること。これをやれる人は、万人の支持を得ることに成功し、やれない人は、一人の支持者を得ることにも失敗する」。
― P67 人の立場に身を置く

「われわれは、自分に感心を寄せてくれる人々に関心を寄せる」。
― P88 誠実な関心を寄せる

「人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。そうすれば、相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる」
― P154 心からほめる

こんな内容がズラズラズラズラ書いてあります。子供の頃から「相手の気持になって考えろ」とはよく言われますが、人間は本質的に関心を持ってもらいたい、自分が重要な人間だと思われたい、と思っている生き物です。

手紙を送る時は、相手を選んで、相手のことを考えながら書くことが多いので、自然と上のことを満たしたものになります。それに対して年賀状は、半ば義務のように送る人がいるので受け手によってはつまらないものになってしまうのかも知れませんね。

「人を動かす」はハードカバーの翻訳本でそれほど読みにくくはないのですが、文章量はそれなりにあります。さくっと読みたい人のために漫画も出ていました。
まんがでわかる D・カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」 (まんがでわかるシリーズ)

「注目されたい!」という気持ちもある

上の重要感の話とかぶりますが、人間は「人に関心を持ってもらいたい、注目されたい」という気持ちがあります。小さい子供なんかはすぐ「見て見てーーーー!」と呼んできますし、トータス松本もきてきて これみて すごいのみつけたと歌っています。

そもそも「相手の気持になって考えろ」と言われる事自体、普段は「相手の気持になって考えてない」って事なんですよね。子どものうちは客観視が出来ないので、自分中心で「みてみて!」となります。これは人間の本質的なものなので仕方がなくて、みんな最初は自分視点で物事を考えるんです。客観視は意識しないとうまくできないんです(客観視、メタ認知は小学3年生頃から育ち始めるそうです)。

子どもが生まれるとやっぱりかわいいので、たいてい「みてみて!」となります。年賀状は年に一度の絵葉書を送れる行事であり、忙しい師走の時期でもあるので、落ち着いて見返したり、振り返ったりする余裕がないと、そのまま印刷・投函されてくるのかもしれません。

そもそも年賀状の歴史とは?

年賀状の歴史を見てみると奈良時代までさかのぼるそうです。

日本にははっきりとはしないが奈良時代から新年の年始回りという年始のあいさつをする行事があり、平安時代には貴族や公家にもその風習が広まってあいさつが行えないような遠方などの人への年始回りに代わるものとして文書による年始あいさつが行われるようになった。
年賀状 – Wikipedia

今より連絡手段がなかったころは、丁寧できめ細かく人間関係をケアしてたのかもしれませんね。性格上オレオレで失礼な人もいたとは思うので「あいつは手紙をよこしたと思ったら自分の話ばかりで無礼なやつだ」みたいなの和歌とかで残っているかもしれません。時代が時代だけに村八分にされそうですが。

明治維新後の1871年、郵便制度が確立したが年賀状は書状で送るところがほとんどで、数は決して多くはなかった。1873年に郵便はがきを発行するようになると、年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。
年賀状 – Wikipedia

かなり前からあったんですね。ちなみに一般家庭に電話が普及するのが1970年ごろで、それまでは手紙は重要な通信手段だったはずで、丁寧に書いていたのかな?と思います。
昭和55年版科学技術白書[第1部 第1章]

実際、昔の人の手紙は筆跡も内容もきれいなことが多いですね。

写真付き年賀状はいつから?

プリントゴッコじゃ作れないし、PCとプリンタが普及する前からあったので、、、おそらく写真屋だ!と思ったらそのようでした。

1986年にフジフイルムが、お年玉付き年賀状に写真を貼り付け、販売を開始したところから始まります。
写真入り年賀状「ポストカード」の昨今 – デジカメプリントん店長のブログ(ページ消滅)

ネガを持ち込んで写植して。。。とありまして、住所氏名とおめでとうくらいの定型文は入れられたようですね。記憶をたどると、いかにも写真屋から出した感じの年賀状はもらった覚えがあって、白か黒文字で隅っこに入ってたような気がします。スタジオ撮影もありましたね。あと全面印刷だったので、まるっきり写真・絵葉書な物が届いてた気がします。

子どもの頃は子供同士で年賀状を送り合うだけだったので、別に嫌な気はしませんでしたね。親宛に来るものには色々あったかもしれませんが、内容見てないし親も何も言わなかったのでよくわかりません。

とりあえず、年賀状は100年以上も前からある風習で、元は連絡手段が少なかった頃の人間関係維持が目的(文面による挨拶)だったが、連絡手段・交通手段が発達して相手が身近になった現代でもなんとなく残って続けていて、80年代に写真が送れるようになったから家族写真や子どもの写真を送るようになって、90年代に入るとPCとプリンタで自宅で簡単に作れるようになって、写真だと文章とは違う情報も入りすぎていて様々なすれ違いを産み今に至る、という感じでしょうか。

ちなみに子どもの写真付き年賀状に関する最古の書き込みは2002/04/01その他14 ■子供の写真入り年賀状って…でした。次は2002/12/06家族の写真入年賀状について – OZmallでした。どちらも2015年の今と同じようなことが書いてありますね。進歩しねーな。

話を戻して「子どもの写真付き年賀状が嬉しくない理由」

話を戻して「子どもの写真付き年賀状が嬉しくない理由」です。上の「もらって嬉しくない年賀状」に該当しない悪気のない年賀状でも、やだなーと思う人はいるみたいですね。

  1. 単純に子ども嫌いパターン
  2. 独身・不妊などの訳ありパターン
  3. 子どもに興味も面識もないよ! のパターン

1. 単純に子ども嫌いパターン

「子供が嫌い」と聞くと「うわ!心せま!」と脊髄反射する人がいますが、こういうのって元から嫌いというよりも、育ってきた環境によるんじゃないかなと思ってます。

(注:まっちゃんは子供好き)

うちもそれほどいい環境じゃなかったので子どもの頃はギャーギャーやってました。周りも似たようなもんです。

で、大きくなったら周りの子供(自分より下の世代)をみて「子供はうるさい」「泥だらけで家に上がってきて汚い」「ひとんちのオモチャ出しっぱなしで家に帰りやがる」「鼻くそを食べる」「スーパーの試食を全部食べようとする」「ひとんちのオモチャをこっそり盗みやがる」と感じるようになりました。

まーあんまりいい印象はないですね。自分がそうだったんですけどね。育ちのいい子ばかりの場所で育ってたらまた違った印象になったんだろうなと思うんですが。

これ食べ物の好き嫌いに似ていて、上手に味付けされたうまい料理だと人参でもピーマンでも食べれるようになるんですが、火が通ってなくて臭みが残ってたりすると一発で嫌いになるんですよね。そんな料理を毎回出されたら超嫌いになりますね。要するに環境です。なので嫌いって言ってる人が悪いというより環境に恵まれなかったんだろうなと思ってます。

で、理由はどうあれ子供が嫌いになっちゃってる人の所に子供写真入りで年賀状送ったら嫌がられますね。「ニンジンいらないよ」って言ってるのに器にたっぷり盛られるようなもんですからね。

2. 独身・不妊などの訳ありパターン

まず独身のほう。独身でも若いうちはまあいいんです。自分も数年後には結婚するんだろうなと希望があるんで。これが40過ぎたりするとキツくて「ああ自分はもう無理なのかな」とか考えたりします。そんな所に幸せそうな写真が来るとウッとなりますね。「心せま!」って言われそうですがウッってなるんです。

不妊の方も切実です。不妊治療って結構お金かかるんですよ。婦人科で周期見てもらってタイミングはかるだけの奴なら保険効くんでまだいいんですけど、人工授精になってくると保険適用外で金額が上がります。2万くらい取られます。体外受精になると一気に跳ね上がって50万です。それでも確率が30%程度で、しかも「体外受精を行う技師の腕にもよります」とか言われてめっちゃモヤモヤします。

不妊というと「高齢になるまでプライベート優先してたんでしょ?」って思われそうですが、単純に相手がいなかったり、生活が大変だったりと、個人や家庭の事情もあります。というか若くても不妊の人は結構いて、婦人科行くと20代の人でもざらにいます。体質もあるので大変ですね。数ヶ月から年単位で病院通いする人もいます。

そんな感じで悩んでる所に子供写真入りで(ry
このパターンの人は子供嫌いじゃないんですが、「期間限定で今は子供チョット嫌い」です。

3. 子どもに興味も面識もないよ! のパターン

これはグッと来ました。知らないから、面識がないからモヤッとしたりイラッとする。心当たりがありますね。

似た状況で旅行先で見たテレビの地方局でローカルタレントがめっちゃ騒いでるというのがありまして、自分が”ひいき”にしてる全国区のタレントにうざ絡みしてるのを見て結構イライラしたことがあります。お前ナニしてんだよと。ちょっと失礼だよと。

あとテレビで面白くない素人がグイグイ出てくる時とかですかね。初めはいいけどだんだんイライラしますね。どちらにも共通してるのは 誰やお前 というところですね。

この場合は認知的不協和

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
認知的不協和 – Wikipedia

よくあるのがタバコの例で、「タバコは吸いたいけど体に悪いのも知っている」というやつです。「スマホで遊びたいけど勉強しなきゃヤバイのも知っている」「スロットやりたいけど借金かえさないとヤバイのも知っている」「酒飲みたいけど健康診断で肝臓がちょっと引っかかって気になっている」とかそんな感じのやつです。なんともスッキリしない、座りの悪い状態ですね。

これを年賀状に当てはめてみると、「友人のことを知りたいけど関係ないことが書いてある」「友人から届いたけど知らない人間が写っている」とかでしょうか。不協和の大きさは受け手の性格や感じ方にもよるので、「なんか変だなーでも子供かわいいから別にいいか」で済む人もいれば「誰やこれ!何が言いたいんや!」とはっきり不快に感じる人も出てきます。まー人それぞれですね。

あー、今思いついたんですが、写真に毎年イトコとか甥っ子が写ってるとモヤモヤしそうですね。しかも年々成長していく上に特に説明もなし。送り主と家族は知ってるけど、この人誰…?って。特に説明もないと結構クるものがありますね。

ということで年賀状の最適解とは

受け手によって感じ方が変わるので、相手に配慮した数種類作るのが良い。
となります。

。。。。。

。。。。

。。。

。。

うっわ、めんどくさっ!!!

年賀状を作る側になってみると

年賀状を作るのも大変です。ハガキサイズに写真とメッセージをきれいに配置する、いわゆるデザインをしないといけません。日常生活でそういった装飾をすることなんてほとんどなく、あっても職場のパワポで資料を作る程度でしょう。ええい、パワポの図を写真に変えたらどうだ。

ダメな年賀状

苦労して作ってみたものの・・・ちょっと微妙だ。ただし子供はかわいい(ぱくたそのフリー素材です)
忙しい師走にとりあえず年賀状のデザインを決めたら、次に考えるのは下記のどれかでしょう。

  1. 複数作るの面倒くさいから全部これで出す(かわいいし)
  2. 会社関係用に年賀状ソフトのテンプレート物を用意して、こちらはプライベート用にする(ちょっと恥ずかしいし)
  3. 会社用、知り合い用、友達用と細かく用意して使い分ける

で、1番を選んだ人がちょっとずつ炎上してる感じだと思います。2番を選ぶ人は分別のあるいい大人でしょうね。3番はすごくいいけどそこまで頑張らなくてもいいのでは・・・?生きがいなの・・・?そうなの・・・。という気もします(さくっと作れるなら全然無問題ですが)。

まとめ

出し手は良かれと思って出してて、受け手は嫌でも届いてしまう一方通行。ある意味面倒な片思い。いつまでたっても鎮火しないこの問題ですが、長くなった当エントリをまとめるとこのようになります。

  • 年賀状問題は出し手と受け手の間柄による
    • 仲良くないのに馴れ馴れしいとウザがられる
    • 逆に仲いいのに堅すぎるとちょっと距離が開きそう
  • 子供について
    • かわいい子どもを見せたい気持ちもわかる
    • 諸事情あって子どもを見たくない気持ちもわかる
    • 知らない人間の写真は微妙な空気になる
    • 知らない子の成長を毎年見せられるのもなかなかシュール
  • いちおう手紙なんだから「なんとなく」で出すな
    • 相手を思いやる気持ち
    • ドヤ感を出すな
    • 創英角ポップ体を使うな

ただし子供を持つ喜びはわかってほしい

繰り返しますが、自分にとって良いものを手にした時はそれを伝えたいし、共感してもらえればさらに嬉しいものです。こちらはただ見せたいんです。語りたいんです!

そんな気持ちを深い井戸のように吸い込んでくれる人ばかりならこの世は平和なのになと思いながら、このあたりで筆を置きたいと思います。

http://katoyuu.tumblr.com/post/134342460725/klaftwerk-人間関係-may-二次元裏ふたば

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