アドラーの「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」の感想文

嫌われる勇気と幸せになる勇気

まわりで流行っていたので読んでみました。全体の主張は「人の悩みや問題はすべて対人関係が原因で、これを克服すれば人は変われるし、さらに幸せにもなれる」という感じでした。

本自体はわりと小ぶりで、登場人物の二人(悩める青年と導く老人)の会話を中心にして進むので読みやすいのですが、老人がくりだすアドラーの考え方が抽象的で、しかもあっちへ行ったりこっちへ行ったり戻ってきたりするので、「この内容はアリなのかな…?」と思うところもありました。

一応2回読んで、自分の頭の整理も兼ねてここに書いておきます。

アドラー心理学の内容、実はだいたい実践できていた

僕はずいぶん前にデール・カーネギーの「道は開ける」「人を動かす」の2冊を読んだことがあり、その中に「人は変えられないから自分が変わっていこうネ」みたいな事が書いてあって、そうね、って思うようになり、この考え方をするようになってました。カーネギーもアドラーの影響を受けているらしく、考え方の根っこが同じでした。

昔の自分は「自分のやってきたことは(客観的に見ても)正しい。目の前のこいつは間違っている。ならば自分が正してやらなければならない」と思ったりしていましたが、簡単な内容はともかく、個人の中の深い部分はまず変えられなくて、自分に説得力がないのかな?とちょっと落ち込んだりもしましたが、そもそもそういう部分は変えられないのだという事を知って気にしないようになりました。

また、内気な性格から「他人の目を気にする」ことも多々ありましたが、30歳あたりで「あれっ、三十路ってもっと大人だと思ってたけど子どもじゃね?」「四十路の人もあんまり変わらなくね?」「というか元気に動ける時間ってあと30年くらいだから気にしてるの勿体無くね?」と思うようになり、ある意味開き直って生活するようになってました。

「よそはよそ、ウチはウチ」みたいな感じですが、まわりに迷惑かけない程度に好き勝手にやるように生きていて、その上でアドラー心理学を読んでみたら「あー、大体できてるね」という感想でした。

青い方の「嫌われる勇気」について

青い方、先に出た「嫌われる勇気」はこういう章立てて構成されています。

  • トラウマを否定せよ
  • すべての悩みは対人関係
  • 他者の問題を切り捨てる
  • 世界の中心はどこにあるか
  • 「いま、ここ」を真剣に生きる

トラウマを否定せよ

最初の「トラウマを否定せよ」がかなり強烈で、この考えを持たずに読むと結構ひくと思います。「過去に嫌なことがあったから、今の自分がうまくいかないのもそのせい」という考え方は自分も持っていました。後悔しつづけてずっと過去に縛られる生き方なんですが、こういう後ろ向きの考え方をいきなり否定してきます。マッチョか!と思いながら読んでましたが、「過去に起きた嫌なことをどう解釈するか」で自分を決定する、とありました。

これ、テレビでやってる「しくじり先生」に近いところがあって、出演者ってだいたいしくじってテレビから消えてて、その時の出来事を自分の中で整理してから出てくるのでめちゃ面白いんですが、トラウマを消化して自分の糧にしている。なんかそんな感じです。

トラウマを否定というか克服してるのでちょっと大変そうですが、後ろ向きのままだと走りだしても後ろに行っちゃうんで、せめて前向いとこうね。そのうちいいことあるよ。みたいな解釈をしました。

ライフスタイル

この章のなかに「ライフスタイル」という単語が出てきます。人間の気質や性格という、先天的に持ってそうなものを「ライフスタイル」と呼び、個人の持つ世界観のような意味で使っています。性格っていろいろあり、怒りっぽい性格や内気な性格、勇気を持って果敢に挑戦する性格などありますが、そういった性格ですら「自分で選んだ」と指摘してきます。

この辺の説明も過激で、悩める青年に同意し、哲人はちょっと飛躍しすぎ、と思ったりしました。しかもライフスタイルは10歳前後に選択してるそうで。最終的には哲人の言う「あなたが変われないのは自分で”変わらない”と決心してるからだ」というところには同意しますが、ある程度はまわりの環境もあるよなぁ、とも思いました。

スタート地点がすごく低くて、そこからこじらせていく人もいるし、自分で気がついて修正していく人もいる。逆に高い地点からスタートしてるのにこじらせてしまったり、そこから更に上に行く人もいる…と思っていて、書いていて「ああ、これって哲人と同じことかな」と思ってしまいました。ううむ…。

すべての悩みは対人関係

これはすごく分かる気がします。「ああ、これ嫌だな」って思うことってだいたい何かと比較していて、比較対象は「自分より優れた誰か」なんですよね。本の中でも宇宙で一人だけなら悩まないと書いてあって禿同です。

似たような例?としては、田舎で楽しくのびのびと野性味たっぷりに生きていて、たまに都会に出たときに周りのシュッと具合と自分を比較して「ウッ」となる感じです。

これに対してよく言われるのが「周りは誰もお前のことを気にしてない」という発言で、実際自分が町中を歩いててもよほど変な人じゃないかぎり気にも留めないし、もし見たとしてもすぐ忘れちゃいます。本にも「我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」」と書いてあって、ハイそうですねという感じです。

劣等感と劣等コンプレックス

この章で「劣等感と劣等コンプレックス」という言葉が出てきます。劣等感は「街に出てみると俺ってダサいな…」という気持ちで、劣等コンプレックスは「街に出てみると俺がダサいのは俺が田舎に住んでいるせいだ」というようにちょっとこじらせた言い訳をする状態なんだそうです。劣等感、周りと比べて劣っているのを認識すること自体は悪いことではないので、気になるなら直せばよし、気にならないなら次回からは何も起きない、となります。

劣等コンプレックスの方は自分も身に覚えがたくさんあり、周りのせいにしたらダメよなぁ…と思うのでした。

優越コンプレックス

さらにこんな言葉が出てきます。劣等感をこじらせて「俺の友達の友達は芸能人だぞ」とか「こないだタレントの人と打ち上げに参加した」とか言っちゃうやつだそうです。古くはmixi、今ではfacebookでたくさん見つかりそうですね。経歴詐称や服などの過度なブランド信仰も当てはまるので、全身プラダとかは「おや、自信がないのかな?」と思われそうです。

本の中でも、
👴「わたしはファッションに詳しい訳ではありませんが、10本の指全てにルビーやエメラルドの指輪をつけているような人は美的センスの問題というより劣等感の問題、優越コンプレックスの現れと考えたほうがいいでしょう」
👦「たしかに」
とあります。

👴「ただし、権威の力を借りて自らを大きく見せている人は、結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きている。ここは強く指摘しておかねばならないところです。」

他者の人生…。

優越感ゲームとかマウンティングが好きな人はだいたいこの中に入ってそうですね。

不幸自慢

「劣等感そのものを先鋭化させた特異な優越感」という字面だけ見てお腹いっぱいになりそうな物が「不幸自慢」なんだそうです。「不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上に立とうとする」「自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする」とあって、最近話題だったZ武さんとかこじらせ北条氏を連想してしまいました。怖すぎ。

自分の中の劣等感との折り合いの付け方

本の中には

  • 劣等感自体は健全な感情である
  • 他人と比較するものじゃなくて、理想の自分と比較するもの
  • だれかと競争するんじゃなくて、ただ前を向いて歩くだけでおk

とあります。

本にはありませんでしたが、僕自身の対処法というか折り合いの付け方はこんな感じです。

  • (今の)自分にはできない。だが10年後どうなってるかわからんぞ。

プロ級の技能を得るのに10,000時間とか言われたりするので、同世代で自分よりうまくやる人間を見ても「僕がマンガ読んでるうちに1万時間がんばったんだな」くらいにしか思わなくなりました。自分がどうしても勝ちたいものだったら10年くらいは続けそうだし、そこまでやれば1日10分でも3万時間を超すので、(相手が1万時間で止まった場合)余裕で勝てるなという気持ちになれます。時間軸も加味したポジティブ!

他者の問題を切り捨てる

いきなり「承認欲求を否定しろ」と出てきます。人の評価を気にしていると他人の人生になってしまうので、自分で決めて、自分で実行しろ、みたいな感じに解釈しました。うう、ストイックだ…。侍ハードラーの為末大選手を連想しますね。

テレビで見たんですが、為末選手は練習も自分一人でやってて、フォームチェックとかも自分でビデオ撮って自分で修正してるとかで、それでメダリストまで行ってるのでこの人が哲人な気がしてきました。もし世界が100人の為末選手だったら、会話の少ない世界になりそうです(偏見)。

「課題の分離」という言葉も出てきます。これは2冊目の最後まで出てきますが、目の前の課題を自分のものか他人のものかを切り分けて考える、というものです。アドラー心理学は他人への介入をしないので、問題を切り分けて自分のものだけを対処するんですね。

この辺の考え方は、「ライトついてますか」という本に似ているなと思いました。

古い本ですが、問題解決の糸口の見つけ方とか考え方を学べたりします。こういう考え方も手法とか技能みたいな物なので、知っておくといろいろ便利なことがあります。

自由とは、他者から嫌われることである

本の真ん中くらいについにタイトルが出てきます。「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。」と太字で出てきます。

これ、タイトルもそうだし登場の仕方も誤解を生みそうなんですが「人の目を気にせず好きにやったらいいよ」くらいの事しか言ってないんですよね。ただ人の目にはクラスメイト、同僚、友人の他に自分の親も入ってくるので、その辺は新鮮かな…とも思いました。

まぁ親から常にプレッシャーをかけられつづける中で飄々と好きに生きることってかなり難しいと思うんですけどね。考え方はわかるんですが、なんかその辺が読んでてモヤッとします。学校や会社など、決められた時間は同じ空間で過ごさないといけない環境も似たようなもので、大変だと思うんですけどね…。適度に距離をとって「あいつはああいう人間だ」と思われる所まで行くとだいぶ楽にはなりますが。

世界の中心はどこにあるか

「メタ視点」の話でした。子どものうちは自分の目、自分の主観でしか物事を見れないけれど、成長するにつれて自分自身も客観的に見れるようになる、というやつです。自分の場合は監視カメラから自分を見下ろすようなイメージをしています。

承認欲求があったり、他人の評価を気にしているとどうしても自分の目線からの世界になってしまうので、世界の中心が自分になってしまいます。周りを気にしない、気持ちに余裕のある状態になると視点が上がっていき、自分を含めた周りを見ることができるようになる、そんな話でした。

mushi_katatsumuri

視点の高さ低さを考えていたら、なんとなくカタツムリっぽいなと思いました。周りにつつかれると目が引っ込んでしまいますが、放っておくと高い所まで伸びるあたりが特に。刺激に強い屈強なカタツムリになっていきたい。

より大きな共同体の声を聞け

人間は一人で生きていけないのでどこかの共同体に属しているが、困ったことがあったらより大きい共同体に視点を移せとありました。本には出てこないですが、共同体の例というかイメージはこんな感じです。

(大きい)                                      (小さい)
宇宙 >>> 地球 >>> 世界 >>> 国 >>> 地域コミュニティ >>> 学校、会社 >>> 家庭

家庭内で違和感を感じたら学校や会社の周りを見る、学校や会社に違和感を感じたら地域コミュニティを見る、というような感じです。地域コミュニティってなんだ?と思われそうですが、塾とか習い事とか、市町村の集まりとか、そんな感じです。早朝に公園でラジオ体操してる人たちとか、よくいく釣り場で挨拶する同士の人とか、そんなイメージでいます。

今だったらSNSでもいいかなと思いましたが、SNSなぁ…いいところもあるけどちょっと不安定な所もあるからなぁ…。

学生のうちは学校が自分の世界のすべて、という感覚がありましたが、それ以外の集まりを意識できると楽になるよとありました。社会人になってからは趣味の集まりにも参加するようになり、結構気に入っています。集まりごとにクセとか特徴があるので就活よろしく転々とするわけですが、自分にしっくり来る場所が見つかるとかなり良いです。大学の研究室みたいな感じというか。

「いま、ここ」を真剣に生きる

人間は人の目を気にして他者の目を気にしがち。今の自分は本当の自分ではなくもっと特別な存在。自分はその他大勢で埋もれる器じゃない。

そういう事を考えがちだけど、実際ほとんど人は特別じゃないからコツコツ地道に生きるといいよ、というようなことが書いてありました。これも結構ショックな物言いですが、すごい結果を出してる人も普段はコツコツ作業の積み重ねをしたりしてるんですよね。地道な1万時間を経て凄い所に到達する。いきなりもの凄い所に来てしまう人は稀だし、もしそういう人がいてもあぐらをかいていたら追い抜かされることもある。プロゲーマーのウメハラの本の最初の方に「幼少期は体格が良かったけど、ゲームばっかりしてたら中学くらいで周りに腕っ節で負けるようになって凹んだ」とあったのを思い出しました。

選択の科学

選択の科学という面白い本があるんですが、これにも似たようなことが書いてありました。「自分は周りと比べて平均より上か下か?」というアンケートを取ると、だいたいみんな「平均かちょっと上」と答えてくる…というエピソードがあります。

そんな感じで、性格とか考え方以前に人間自体がそういう生き物なんでしょうね。だからこう考えるのは悪いことじゃないけど、もっと特別になろうとすると泥沼にハマるよ、みんな普通なんだし普通であることを自認する勇気を持とうね、とありました。

ダンスするように生きる

「人生とは、今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです」

過去(のトラウマ)も見ない、比較するように周りも見ない、ただこの瞬間のダンスに集中して楽しんで、気がついたらよくわからないところに到達している。そんなことが書いてありました。

この話は割と実感があって、高すぎる理想をずっと掲げていると疲れちゃいますが、達成可能なレベルまで粒度を落とし、毎日コツコツと積み上げていく。ごく小さな積み重ねでも、それをずっと続けると凄いものができたり、すごい場所へ行けたりします。ただ時間がかかるので、高校の3年間以内結果を出したい!とかだとだいぶ辛いところもありますが。

ダンスをしてるうちに意外な所に到達するという話は、ジョブズのスピーチもよく似ています。この場合は人生のいろんな場所に点を打ってきて、一見関係無さそうな場所どうしの点でもつなぐと意外なことが起こった、というような内容でした。

全ては自分次第。腐ってないで少しでも歩を進めよ、という事ですね。それができるならやってる!とは本の中の青年も何度か言ってましたが、結局は個人の問題になっていくので、喉が渇いた馬がいたら水辺に連れていくだけ、空腹の人がいたら魚の捕り方を教えるだけ、になってしまいます。厳しい、あまりにも厳しい!

悩める青年はどうなったか

この青年、冒頭から最後までだいたいキレまくってます。人生に不満だらけの青年は哲人の言うことにだいたい文句をつけ、たまに納得し、また文句をつけ…、最後どうなるのかなと思っていたらいきなり雷に打たれたように感動して去って行ってしまいました。

僕の理解不足なのか、展開が早過ぎるのか、哲人のゆさぶりを「あぁ〜そうですね〜〜」と眺めていたら、いきなり豪速球ストレートをぶち込まれて終わったみたいな読後感です。

赤い方の「幸せになる勇気」について

こちらも登場人物は同じで、青い方で納得して帰っていた青年がアドラーの教えを実践して失敗し、怒って戻ってきます。今回もだいたいキレまくっていて最後に突然雷に打たれてるんですが、この本って翻訳モノじゃないんですよね。青い方の作中に「プラトンの対話篇」の話題が少し出てきて、その本がこういう感じなんだろうか…とちょっと不思議に思います。

青い方は個人の考え方が中心で、こちらの赤い方は周りとの共生の仕方、みたいな内容です。青年が教師になって帰ってくるので教育に関する話も多め。なんかこの辺がしっくりこなくて、2回目読んでもあんまり頭に入ってきませんでした。

出会いがなくて怒ってる青年に対し「今を生きろ」と諭すあたりは、自分が以前書いた記事と似ていました。

変な例えですが、「彼氏/彼女が欲しい!」と思ってる時はなかなか見つからないのに、何か好きな物を見つけて熱中している時の方が出会いがある…という状況に似ているような気もします。
バターを入れる完全無欠コーヒーはダイエット効果あるの?どうなの?味はけっこうウマい

お金でも愛でも情報でも、わりと何でもそうなんですが、たくさん与えてる、公開している人のほうが見返り…というとちょっと嫌らしいですが、良いお返しが多いんですよね。あと探しものをしている時より気が楽だというメリットもあります。

2冊を総括すると「周りを気にせず自由に生きて、見返りを気にせず色んな物を与えていくと、そのうちいいことあるよ」、という感じになりそうです。赤い方の最後はエヴァの人類補完計画っぽい感じもあり、作中で青年が「宗教だ!」と怒っていて、さすがに僕もちょっと同じことを思いました。

いや、宗教じゃないし本質的なこと言ってるし、悪いことじゃないんだけど…。アドラーが「共同体感覚」という概念を出した時に弟子が去っていったともあり、何度も読まないと完全に理解するのは難しそうです。

漫画の主人公のように生きる

アドラーは「周りを気にせず、自分の人生を自分自身のために生きろ」と言っているように見えます。他人と比較するのは辛いので自分自身の理想像を作ってそこの差異を詰めながら前に進むことになるんですが、僕の場合は理想の自分がなかったんですよね。尊敬するスポーツ選手や有名人もいないし、身の回りでも「この人みたいになろう!」というのがありませんでした。部分的にはあって、「国語なら加藤くん、体育なら鈴木くん」みたいなものはありましたが、普段の生活全般をカバーするような目標がありませんでした。

そこで思いついたのが「漫画の主人公のように生きる」です。好きな漫画の主人公はたいてい自分の理想像に近くて、しかもフィクションだからあからさまな欠点がない。とすれば神とは言わないまでも、ブレにくい理想像として置いておけるなぁ、と思ったのです。

マンガにも種類があるので闇金ウシジマくんみたいなのは面白いけどちょっと…と脇においといて、もっと王道なやつですね。

「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本の時か? オレは………オレは今なんだよ!」

花道は身体的に恵まれていたけど、バスケの経験がなかったのでずっと基礎練だったんですよね。パスやレイアップをひたすら練習して積み上げていく。花道の性格もありますが、基本前向きなんですよね。そうやって練習や試合を積み重ねて少しずつ強くなっていき、山王戦で上のセリフが出ます。

自分には高すぎる目標かもしれませんが、登場人物たちがいる方向に進んでいけば間違いないかな、と思うのでした。理想と現実の差に苦しい時はせめて木暮くん目標で…(とはいえ彼も3年間がんばってきた男)。

ちなみに、三井寿はアドラー心理学で言うところの「問題行動5段階」の4段階目で登場します。バスケがしたくなる心境も本に載っていたりして「おぉ…!」となりました。

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