チョンマゲや中世修道士の髪型は、ハゲ隠しだったのか?

画像引用元: 魚豊 「チ。-地球の運動について-」(エピソード 5『私が死んでもこの世界は続く』、Netflix)
Netflix で「チ。-地球の運動について」のバデーニさんを見ていて思いました。「修道士のあの髪型、ハゲ隠しでは…?」「もしかして武士のチョンマゲもハゲ隠しでは…!?」
しかしこれには明確な反論があります。 「あの髪型(トンスラ)は聖職者のしるしであり信仰の象徴」「そもそもハゲてない人も剃ってる」「平安時代では烏帽子のフィット感向上」「武士の月代(さかやき)は兜の蒸れ防止」。
しかし、自分が薄毛になって見えてきた世界があります。ハゲは男の自尊心を著しく毀損します。一介の市民でこれなので、もしも権威のある立場の者だったらどうなるか…。
私には……もう何も残されてはいない……
生える所も……愛する人も……信じるものさえも……
…
ならば……この私が魔王となり……
この考え方は「スティグマの反転」と言うらしいです
スティグマとは昔の奴隷などに付けられた烙印のことであり、そこから転じて現代では「周りから受ける不当な扱い」「社会的に「恥」「欠陥」「劣等」とラベリングされる印」などを指す言葉のようです。
オタク(社会不適合者)、貧乏人(だらしない)、単調なペンキ塗り(いたずらの罰)、こういった属性の表し方がスティグマなのですが、これらを反転すると、専門的なギーク、大量消費時代における孤高のミニマリスト、つまらない罰を価値のある仕事に見せかけたトムソーヤ、になります。
ハゲ(老化や生命力の枯渇)を、知性や権威の象徴として見せる。これも反転です。
トンスラやチョンマゲを作った人が、実はハゲをリフレーミング、再定義した可能性ってあるんじゃないですかね? 「ハゲを隠すにはハゲ山の中」として無効化したり、逆に「ハゲはいいものだ」としたり。どうなんでしょう?
そもそも、昔の人もコンプレックスを感じていたのか?
コンプレックスは、あります!西暦 40〜100 年頃のヒスパニアの詩人、マルティアリスが残した詩集の第 10 巻、83 番にあります。
Raros colligis hinc et hinc capillos et latum nitidae, Marine, calvae campum temporibus tegis comatis; sed moti redeunt iubente vento reddunturque sibi caputque nudum cirris grandibus hinc et inde cingunt:
マリヌスよ、あなたはまばらな髪の毛をあちらこちらから集めて、光る広いハゲ頭の野原を、髪の毛のあるこめかみの部分で覆っている。 しかし、風に揺さぶられると、それらの髪は動いてもとの自分の場所に戻ってしまい、剥き出しの頭は大きな房の巻き毛で両側から囲まれている。
https://www.loebclassics.com/view/martial-epigrams/1993/pb_LCL095.393.xml
どう見てもバーコードハゲです。本当にありがとうございました。
紀元前 50 年頃にはクレオパトラの育毛剤という、すり潰したネズミ、馬の歯、熊の脂などを調合した秘薬もあったそうです。利用者はガイウス・ユリウス・カエサルで、効果はなかったとされています。9 Bizarre Baldness Cures | HISTORY
カエサルに至ってはシーザーカットという、THE MANZAI 2025 の中川家礼二のような髪型の発案者でもあります。
これらを見るに、大昔から髪が抜け落ちる薄毛、ハゲの症状はあり、その状態へのコンプレックスはあったようです。一介の市民でこれですから、いわんや権力者をや、であります。魔王化しそう。
支配層とハゲ
クレオパトラの秘薬を後世に伝えるきっかけになった…らしい、とされる 2 世紀頃の医学者ガレノスは70〜80 年近く生きたとされます。https://ja.wikipedia.org/wiki/ガレノス
戦場に出ない、栄養状態が良い、衛生的な環境で暮らす。これらの条件が揃うことで、今から 1900 年も前の人間でも 70 歳くらいまで生きられたようです。さすが医者。であれば、医者を近くに置いたであろう支配層も、暗殺や持病がなければそれくらい生きた可能性はありそうですよね。
人間(男)は 15 歳頃から男性ホルモンが出始めて、ハゲへのカウントダウンが始まっています。詳細はこちらの記事に書いてあります。
毛根へのダメージは蓄積される遅延型で、表面化してくるのはおよそ 30〜40 代あたり。当時の支配層が実権を握っていたのも、これくらいの年齢なんじゃないでしょうか?
ガリア戦争で名声を高めたときのカエサルは 40 歳ごろ、「賽は投げられた」が 50 歳ごろだそうです。この時の内戦での勝利によって、ハゲ隠しにちょうどよく使える月桂冠をずっと被ってもいい権利を得ました。嬉しかったでしょうね。
コンプレックスを反転した例
古代ローマでは AGA 男性型脱毛症は知恵や威厳を示すものとされていましたが、カエサルのように気にする人もいました(また、政敵に揶揄されることも)。建前では「ハゲはいいものだ」としていても、やはり嫌なものは嫌なようです。
であればカツラなどの被り物で隠したうえで、その被り物が 「選ばれたものにしか装備できない」 としたらどうでしょうか?トムソーヤのペンキっぽいですよね。
これを実行した例がフランスの王 ルイ 14 世でした。身長が 163cm しかなく、低身長を補うために赤いハイヒールをはき、同時に赤いヒールは宮廷の寵愛を受けた者だけが履けるような法令を出した、とされています。
ただ 163cm は当時としてはめちゃ低身長というわけでもなく、単に流行っていたから履いていた、履くと周りより高くなるから威厳も出せた、とも言われています。
また、ルイ 14 世はカツラも愛用していました。二十歳の頃に病気で髪の毛を失っていたこともあり、長く愛用していたようです。
- https://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ 14 世_(フランス王)#逸話
- 欧州貴族の奇妙なかつらの奇天烈な歴史、はじまりは王の薄毛隠し | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
低身長をヒールで嵩上げし、さらにカツラも盛りまくって威厳を演出した太陽王。そこだけ切り取るとすごく微妙な感じがしますが、コンプレックスを隠すために使ったものが、なんとファッションとして流行ってしまいます。
この構造は ゲオルク・ジンメル (Georg Simmel) - 『ファッションの哲学』にも書かれており、「権力者が着用する → 権力の象徴となる → 貴族が真似て忠誠を示す → 真似された権力者は更に尖ったファッションに移行する…」とあります。これは王と貴族の間だけではなく、上流階級と平民の間でも再現されます。
「社会の形式、衣服、美的判断、そして人間が自らを表現する様式全体が、ファッションによって絶えず変化し続けているとしても、ファッション、すなわち新しいファッションは、これらすべてにおいて上流階級にのみ属します。
下層階級がそのファッションを身につけ始め、それによって上流階級によって設定された境界線を超え、象徴化された仲間意識の統一性を打ち破ると、上流階級はそのファッションから離れ、新しいファッションへと移行します。これによって彼らは再び一般大衆から区別され、この一連の遊びがまた新たに始まるのです。
ルイ 14 世が狙ってやったかどうかはわかりませんが、見事な反転ですね。王のヒールもカツラもどんどん大きく派手になっていったようです。
カツラでなく、ハゲの強制は?
カツラの場合は権力の誇示へと変化していきました。自発的に付けたい!でもお金ないからかぶれない!くやしい!という気持ち。「北風と太陽」みたいな。さすが太陽王。
では、カツラではなく、ハゲを強制させられた例はあるんでしょうか?
修道士たちのあの独特な髪型は、5 世紀にはすでにあったそうです。ルイ 14 世がカツラで盛り盛りにする 1000 年以上前から、すでにあの髪型をしていたそうです。僕の見立てでは、時の権力者が「俺がハゲたからお前らも強制ハゲな!」とやって始めたのだと思っていましたが、修道士の話の中にそういった事例は見つかりません。しかし、別の所に髪型の強制の話がありました。
ラーメンマンのような髪型を「辮髪(べんぱつ)」といいますが、あれは中国東北部の満州人やモンゴル人から始まったとされています。元々は「兜を被るときに邪魔にならないから」という実用上の理由からとのこと。
で、満州族が天下を取って清朝ができた際に、被征服対象である漢民族に辮髪を強制した、という記録が残っています。なんというアイデンティティ破壊。「「頭を留めんとすれば髪を留めず、髪を留めんとすれば頭を留めず」と言われた程に徹底させた」とありました。敵味方の区別に便利だったとも書いてありますが、カトリックの異端審問官よりかなり過激です。
しかも、中国では儒教の教えが広まっていました。儒教は前漢の頃に国家思想に採用されます。 その中の孝経に「親からもらった体を大事にしろ」というものがあり、そこには髪の毛も含まれます。 つまり漢民族にとって髪や体は大切なものだったので、刑罰として「髪を切り落とす」があるくらいでした。
それに対しラーメンマンっぽい髪型の満州民族は儒教を採用しておらず、自然崇拝やシャーマニズムでした。日本の神道に似ていますね。だから機能性重視であの髪型になったようです。
この民族が漢民族を支配して管理しようとしたらどうなるか?当然漢民族の宗教や考え方を知っていたはずなので、心を折って服従させるために、あえての辮髪の強制となったわけです。怖すぎ。
トンスラはスティグマの放棄
しかし、トンスラは市民に強制しません。
- 辮髪 → 征服民族が他民族に髪型を強制した
- トンスラ → 聖職者の証であり、普通の市民には強制しない
2000 年近くも前の詩にも、髪の毛は生命力の印、活力、強さ、のイメージとして表現されていました。トンスラはこの髪を捨てることで「積極的に擬似的な老いの姿になる」「生命力の放棄」などを表し、「自分は神に仕える身、世俗的な人間ではない」という表現であったようです。
当初は自発的に行われていたトンスラは、13 世紀以降には全聖職者に強制される髪型となった https://ja.wikipedia.org/wiki/トンスラ
でもそのうち、聖職者だけですが強制されます。13 世紀のキリスト教は巨大な組織になっており、十字軍や騎士団などが結成されています。小さな集団で自発的に始まった考え方は、集団になると薄まっていきます。それこそ先述のルイ 14 世のカツラのように「流行ってるからやってる」「食うために参加してる」みたいなフォロワーも増えていたはずで、それらを統率するために、参加メンバーの証として強制するようになったようです。
と同時に、「同じ髪型」は所属する組織への一体感も高める効果もあります。野球部とか。また、「あの髪型ヤだな…」と思っていることを強制することで、組織への忠誠心を高めることを狙ったかもしれません。
軍隊といえば短髪ですね。丸刈りや GI カットなど種類はありますが、どれも「ヘルメットなどの装備品を扱いやすくするため」「洗髪のしやすさやシラミ対策などの衛生面」「みんな同じなら軍としてメンテしやすい(床屋)」というような実用的な面も強いです。
でも 1972 年には強制トンスラが廃止されたそうで、やっぱりみんな「変だよな…」と思っていたのかもしれませんね。
ではチョンマゲは?
儒教は日本にもかなり早くから入っていました。孝の教えも入ってきており、里見八犬伝や鎧伝サムライトルーパーなどの物語にも出てきますよね。
でも月代作ってるんですよね。平安時代から。
絵巻物などと照らし合わせると、鎌倉時代、室町時代にさかやきが行われていたと分かる。当時は、兜による頭の蒸れ対策として戦の間だけ行われた習慣であり、日常に戻った時は総髪となった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/さかやき
日本も自然信仰がベースにあり、あとから入ってきた儒教は道徳規範などが参考にされながら融合しました。そのため、漢民族のように「髪は親からの授かりもの…!」という考え方を持たず、満州民族と同じように機能優先であっても不思議ではありません。「親は大事にするけど髪は俺のだし…」みたいな。
戦の時の兜は額まで覆うため、確かに前髪は邪魔です。もし戦闘中に髪で視界が遮られたら命に関わります。なので、邪魔だから切る → 頭が蒸れるのも気になる → もう面倒くさいから全部剃るか!(戦の間だけな!)という戦闘民族っぽい動機は合理的に思います。鎌倉の足利尊氏の肖像画もあの STYLE ですね。
ややこしいのが、「若く見せたいために月代の剃りあとを薄く青く塗っていた」という記録です。月代のおかげで薄毛を隠すことができ、老いも若きも同じような姿でいられるようになって一部の人はラッキーだったようですが、剃り跡がないことで結局ハゲバレしたそうです。で、それを隠すために青く塗ったと…。もうややこしすぎる。
まとめ
だいぶ遠回りしてきましたが、修道士のトンスラも、武士のチョンマゲもハゲ隠しではなく、別の理由から成り立っていました。
トンスラは「自ら進んでハゲになる」髪型。あえて老いた姿になることで世俗を離れ、聖職者としてのしるしとするが、後年ではそれが記号化し、「聖職者に対してのみ」強制するようになります。
チョンマゲは「実用的な理由で生まれた」髪型でした。当初は戦時中のみだったが、戦国時代になると常時頭を剃るようになりそのまま定着します。老いも若きも同じ髪型になれるのでリアルハゲも内心助かっていた…というものでした。
また、魔王みたいな人物も登場せず、むしろ権力の座にある人は欠点を逆転する方向に持っていくという、パワフルな歴史がありました。
しかしまぁ、話の流れで「魔王」という表現を使いましたが、実際になにかに侵略されて髪型を強制される世界になったら…と考えると、ものすごくディストピア感がありますね。
一万年と二千年前から、また髪の話してる ⋯
しかし、文字ってすごいですね。まさか 1 万年と 2000 年前からまた髪の話してる…なんて思わないじゃないですか。そんなの信じられますか?いや一万年は盛りすぎですが、そんなのまるで、奇跡じゃないですか。
マルティアリスの詩集には髪ネタがたくさんあります。「まだ髪はあると言い張る男」「髪があった頃の話」「外見を過度に整える男」などなど。
最後はマルティアリスのエピグラム 6 巻 57 番で締めようと思います。ご清聴ありがとうございました。
Mentiris fictos unguento, Phoebe, capillos et tegitur pictis sordida calva comis. tonsorem capiti non est adhibere necesse: radere te melius spongea, Phoebe, potest.
偽りの髪を香油でごまかし、ポイボスよ、 その汚れた禿頭は、染めた髪の毛で覆われている。 床屋を頭に呼ぶ必要はない。 ポイボスよ、スポンジの方がお前をよく剃り上げられるだろう。









